クリスチャンのブログー草もちー

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信仰に至るまでの経緯1

こんにちわ。

のんのです。

 

今回は恥ずかしいですが、信仰に至るまでの経緯について書いていこうと思います。

Twitterで散々痴情を晒しているのに今更何を恥ずかしがるんだと思われるでしょうが、恥ずかしいものは恥ずかしいのです。

 

 

ですが、もしかしたら読んでくださる方々がこの記事を読んで勇気づけられたり下を見て安心してくださらないとも限らないので書きます。

 

肩の力を抜いてご覧ください。

 

 

信仰に至るまでの私

私が信仰を覚えたのは大学生二年生の春でした。

 

信仰に至るまでの私は、普通の大学生だったと思います。

大学の講義に退屈を覚えたり、自分で勉強をする楽しさを覚え始めたり、憧れていた合コンが意外に面白くなかったり。

 

そんな感じで、日々新鮮な気持ちで過ごしていたと思います。

 

ある日、友人が交通事故で亡くなったと連絡が来ました。

 

その友人とは高校の中頃までは、ほぼ毎日のように遊んでいました。

ですが、高校の三年ごろからすれ違いが多発。

 

大学生になる頃には、疎遠に近い状態に。

しかし、違和感はあまり感じませんでした。

元々こまめに連絡を取る事がなく、お互いに新生活が始まっていたのであまり気にはならなかったように思います。

 

そんな中での事故の知らせ。

最初は実感できずにいました。

 

最初はどれほど実感がなかろうが、時間と共に理解していくもので、友人のいない世界で生きている事実が辛くなってきました。

例えば、朝起きて遊ぶ相手がいないから友人に連絡を取ろうとするところでもういない事に気がつく。

こんな風に、彼のいた世界に慣れきっていた私は所謂離脱症状に悩まされていたんです。

 

そんな中私は大学二年生(関西では二回生かな?)になりました。

講義が始まろうとも、その悩みは解決しません。

なんとか打開しようと考えて、サークルに入ることに決めました。

 

そのサークルの顧問がクリスチャンでした。

知ってか知らずか、私に教会でのキャンプを紹介してくれました。

 

今考えれば、そのキャンプが私にとって初めての「交わり」でした。

キャンプは楽しく、その期間は嫌な事を忘れられました。

豊かな自然と古びた教会。蒸し暑く不便な環境と咽せる様な青空のコントラストを今でも鮮明に覚えています。

 

キャンプを終えてからの私は、教会が良いものだと思うようになりました。

教会という建物というよりは、キリストの名の下に集まった集団の事です。

 

そういった集団では、別段面白いイベントがあるわけでもないのですが安らぎを覚えました。

 

そして、安らぎを求めて教会めぐりの旅が始まりました。。

 

 

 

長くなったのでここまでにしておきます。

次回からは教会について考えさせられた事、信仰ってなんなんだろうと考えたきっかけについて書いていこうと思います。

それでは、また会えたら。