クリスチャンのブログー草もちー

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信仰に至るまでの経緯3 教会に定着する前に罪を覚える。

こんにちわ、のんのです。

前回、前々回に引き続き今回も信仰に至るまでの道のりについて書いていきます。

 

だいぶ前ですが私のTwitterでこんなアンケートを取りました。

 

 

どうやら私の罪のプロセスは皆さんの反面教師として役立てる様なので書きます!!
恥ずかしいですが続きです!

 

あらすじも後に書いてありますが過去記事もご参照ください。

 

 

nonnod.hatenablog.com

nonnod.hatenablog.com

 

 

 

あらすじ

友人を失い心の喪失感を抱えた私。
大学の教授に勧められ教会主催のキャンプに。そこで安らぎを覚える。

キリスト者の集団に安らぎを覚えた私は、根を降ろす教会を探す旅にでる。
最初の教会は、4ヶ月の間通ったものの上手く馴染めなくて結局教会を変えることに。

 そして、再び教会探しの旅に出ることに。

 

教会探しの旅再び

今度は、少し足を伸ばして遠くの教会に行くことに決めました。

理由はあんまり前の教会だと、先輩信徒に会った時に気まずいかなぁと邪推したまでです笑

 

さて、その教会の評判は若い人がいっぱいいる教会でとにかく楽しいらしい。ぐらいの緩い感じで、具体的に宗派は何で信徒数はどれくらい等の詳細な情報は持ち合わせていませんでした。

 

とにかく、不安要素はあったものの行ってみることにしました。

 

 安らぎは無いものの、とにかく楽しい

実際に、その教会に行ってみた感想は、とにかく楽しい!!

若い同世代、先輩後輩もたくさんいて驚いたのを覚えています。

 

前の教会はどちらかと言うと、年配の方々が多くて緊張する事が多かったのですが、今回の教会は非常に楽でした。

年配の方々だと会話の内容に気を使っていて感情労働特有の疲労感を覚えていたのですが

恋話や身の上話、社会に感じてる疑問とかもストレートに話すことがそこでは出来たのです。

 

リラックスできる関係性は、友人を無くし寂しさと心の空洞を抱えていた自分にとって、非常に心地の良いものでした。

「心の穴を埋める」という言葉がありますが、当時の私はその言葉がピッタリと当てはまる状態でした。

 

最初は、日曜日の礼拝であって少しばかり話す関係性でしたが、徐々にその頻度を増やしていき日曜日以外も会ってご飯食べたりなど関係性を深めていきました。

 

 

 

そして罪の道へ

そして、決定的な瞬間が訪れました。

 

私は、仲のいい年上の女性と仲良くなっていました。

仲が良いだけであれば問題はなかったのですが、二人だけの時に盛り上がっていたのです。

残念ながら、盛り上がる二人を止める術はありません。

 

最初は、二人で話して行く時に生きる目的や自身の身の上話だったのですが、段々と人前で話しにくい話をするようになりました。

主に、政治信条の話や性の話が主な話の内容だったと思います。

そして、盛り上がる時間は決まって夜中でした。

 

ある日、盛り上がる中でお互いに同意を得た上でそのまま肌を重ね合わせました。

 

私は、性的な興奮と青年時代の憧れを成し遂げた達成感で普段通りに考えられなかった状態でしたが、所謂性行為まではしませんでした。

極度の興奮の中でも、微かな罪の意識があったのかもしれません。

 

 

そして、ひとり歩く帰り道。

自身の理想としていた教会生活と今ある現実とで整合性が取れない事に困惑していました。

安定して楽しかったグループとそのうち一人と安定を破壊しかねない行為。

その不安定さが心地よかったのを記憶しています。

 

その人とはその後も性行為までは行かない様な関係が続きました。

 

道化

上記のような関係性を持つようになって自身の中で変化が起きました。

それは、「自身を演じる」という発想が芽生えた事です。

自身の行い全てを、そう思い込む様になっていました。

 

そうして、表では今までと変わりなく生活して裏では不品行を重ねて過ごしてました。

その中で、演じる内に自身の中で変わって行くものを確かに覚えていました。

それは、後ろめたさがなくなっていた事です。

 

最初は性的な関係を持つのに罪悪感を感じていましたが、徐々に何も感じなくなっていました。

言い訳は豊富にありました。

「純潔なんて皆守ってない」とか「初めてを結婚相手に捧げるなんて時代遅れ!!」等など。

 

そうして生活する中でゆっくりとそして確実に罪悪感を忘れていきました。

 

続く、、