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信仰に至るまでの経緯4 【LGBT】お手軽で楽しい快楽の道に進む。【キリスト教】

こんにちわ、のんのです。 ここ最近、というかここ3日ぐらいブログを更新していたら多くの方々にご覧いただけているようで嬉しい限りです!

このブログは、基本的にはフリーなサイトなので皆さんの用途に合わせて共有してください。

さて、今回は徐々に罪が日常になっていた私の話になります。 皆さんの信仰生活の反面教師として役立ててください。

過去の記事もリンクを張っておきますのでまだご覧になってない方はそちらから見てあげてください。

あらすじ

友人を失い心の喪失感を抱えた私。 大学の教授に勧められ教会主催のキャンプに。そこで安らぎを覚える。

nonnod.hatenablog.com

キリスト者の集団に安らぎを覚えた私は、根を降ろす教会を探す旅にでる。

nonnod.hatenablog.com

最初の教会は、4ヶ月の間通ったものの上手く馴染めなくて結局教会を変えることに。

次の教会は、若者が多く馴染めた。 仲良しグループも出来て楽しい毎日。

nonnod.hatenablog.com

そんな中で性的な罪を犯し、徐々に罪悪感が薄れていく。。

性的な罪の無意識と意識

年上の女性との性的な関係が日常となっていたある日、とある男性に思いを告げられました。 その時の衝撃と困惑を今でも覚えています。

正直、どうしたらいいかわからない状態でした。 私が歩んできた短い人生の中で「思いを告げること」はあっても「思いを告げられる」事はありませんでした。

私から思いを告げても大体はお礼を言われて終わりでしたし、その後なにかがあったということもありませんでした。

その当時、関係にあった年上の女性もなし崩しに関係を持っていたので、思いを告げたわけではありませんでした。

話を戻して、その男性に思いを告げられた私はどうしたのかというと、どちらが口に出すわけでもなく性的な関係になりました。

同性と寝る寸前まで

同性との性的な関係は初めてでしたが、相手が経験豊富だったためスムーズに行えました。

こちらの要求を了解してもらえたので、性行為を行う事はありませんでしたがその寸前までやりました。

その時の状態は、ひどい安酒を煽った時のようで、激しい動悸と緊張でまともに頭が考えられない状態でした。

ですが、不思議と不快感はなくむしろ清々しいものまで感じていて、気持ちが良いとはこういうことかと自認する有様。

同性と肌を重ね合わせるのは気が引けたのですが、「喉元すぎれば〜」と言うやつで終わってみたらその気持はもはや形なく消えていました。

今にして考えれば、その時にボーダーラインが壊れた気がします。

当時、キリスト教はもちろん、世間一般でもLGBTへの理解が進み始めていたので罪悪感は全くと言ってもいい程なかったように思います。

当時の私の男性体験は、ネガティブなものではなく、むしろポジティブなものだと感じていました。

追い風として、私自身はカミングアウトこそしませんでしたが、私の周りにはLGBT賛成派が多数派なので仲間に入れた気がしてそれもまた孤独感を埋める要因になっていました。

男性体験は、私の心が満たされるものだったからやめるという事は考えはありませんでした。

お手軽で楽しい快楽へ

その後は、不思議なスタイルの関係性が魅力なのか珍しいのか結構いろんな相手と寝る寸前までの関係を結びました。

上記のようになった理由といたしましては、自分の経験談をそこらじゅうで話し始めるようになったというのが原因だと思います。

LGBT当事者の集まりで知り合った女性や男性と関係を持ったり、興味を持って話しかけてきた人と関係を持ったり。

LGBT で言うところのバイセクシャルに分類される私は、異性愛者や同性愛者に比べて出会いの確率が非常に高いのです。

男も女も相手の候補になるわけですから。

やがてそれなりの身分の方とも若さやお手軽な関係を評価され関係を持つようになり、その代価として金銭を貰うように。

目もくらむような高級なホテルや立派な自宅での高級な食事。 常に貧乏だった私にとって、場所代や移動代、更にはその日の食事代を出してもらえたのは学生の自分にとっては有り難いものでした。

最後の一線を超えなかった理由と変質した望み

前戯は遊び。それが、性行為を拒み続けた唯一の理由です。 つまり、お手軽な関係をその当時は望んでいました。

面倒なことはゴメンだったので、関係を持つ相手も既婚者は候補から外し、割り切った関係しか結ばないことを条件に互いにお手軽で割り切った関係を結んでいました。

今にして思えば、最初に望んだ安らぎを覚えるために教会を望んでいた最初の望みからは遠く離れたお手軽でかんたんに互いを満たすための関係を望むようになりました。

そうして、性的な罪が日常となり教会や聖書からは遠く離れた生活が続きました。

続く。