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信仰に至るまでの経緯5 【KGK】クソ真面目で面白くない奴に救われる【信仰】

こんにちわ。 のんのです。

今回は久しぶりの「信仰に至るまでの経緯」です。 久しぶりで申し訳ないのですが最終回です。

自分ごとですが、こうして文字にすると結構短く感じますね! 実際の年月は一年とか一年半かかっています。

さて、今回もあらすじから本題へと入っていきます。 それではどうぞご覧ください!

あらすじ

友人を失い心の喪失感を抱えた私。 大学の教授に勧められ教会主催のキャンプに。そこで安らぎを覚える。

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キリスト者の集団に安らぎを覚えた私は、根を降ろす教会を探す旅にでる。

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最初の教会は、4ヶ月の間通ったものの上手く馴染めなくて結局教会を変えることに。

次の教会は、若者が多く馴染めた。 仲良しグループも出来て楽しい毎日。

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そんな中で性的な罪を犯し、徐々に罪悪感が薄れていく。。

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突然、理由なく快楽の道をやめる。そして無教会へ

理由はわからないけども、男にも女にも興味がなくなった。 祈ったわけでも祈られたわけでもない。

まぁ、結局「飽きた」といった方が正確かもしれない。 それ程まで、罪が常態化していた。

流石にまずいと思い、馬鹿なことにまた教会を変えました。 しかも、選んだ動機が珍しいからと言うのだから我ながら呆れる。

そうして出会った「無教会」 たまたま近くにそういう集まりがあると聞いて通い始めました。 それがどれほど幸運なのかも知らずに。

無教会は今までの教会と違い恐ろしいほど学びがあった。 一言で表すなら「真剣」

聖書の意味やキリスト者としての生き方まで、老いも若きも一緒に学んでいました。 当時の自分にとっては新鮮そのもの。 リベラルな観点での話もあれば福音的な観点の話もあった。 これが非常に楽しく、時を忘れるほど語ったのを覚えています。

理想と現実は何故こんなにもかけ離れるのか。とかキリスト者として戦争という暴力はどう向き合うべきか。等など話していました。

その時間は非常に充実していて教会に通うのが楽しみになっていました。 そして、それと同時に新たな共同体の存在も知ることに。

別の共同体との出会い

神様からの導きか唯の偶然かはわからないけども、教会以外のクリスチャンの共同体を知ることになりました。

まぁ学生時代にクリスチャンだった人は分かるかもしれないけど「kgk」キリスト者学生会という共同体に参加しました。 無教会に通ってることは内緒で聖書が好きな未信者として一回だけ参加した。

そう。一回だけ。 その一回で信仰に至る訳ですから、凄いものがありますよね。 そうして私はこれからの人生を変える事となる一回きりの友人と出会うことになります。

クソ真面目で面白くない奴と出会う

彼は、死ぬほど面白みの無いやつだった。 恐らく、彼のスマホを覗き見ても面白い情報はないと推定出来るぐらいには面白くない。

しかし、聖書にもあるように「私の目から貴方は尊い」 それぐらい私にとっては、素晴らしい人間だった。 だけど、ただ優しいわけでもなかった。 彼は看護学部だったので私の喫煙癖を罵り注意するなど不快な部分もあった笑

ただ、真面目に聖書を読んでるやつと始めて出会った。 今までであった人は、どちらかと言うと人生の緩やかな指標として緩やかに読んでいた。

そいつはまるで違った。 聖書の一言一句をかじりつく様に学んでいた。

聖書の捉え方にも違いがあった。 私は、聖書の言葉を全体で捉えて意味を知ってから、その意味から逸れないように自分の言葉に落とし込むタイプだ。 彼の場合は、聖書の言葉を意味を知ってから時代背景を調べる。その後自分の言葉に落とし込むタイプだった。 似ているようで似ていない聖書の捉え方だが、聖書論争になる事はなかった。

はっきり言って、今までのクリスチャン関係に比べれば退屈の極みだったが、その知識には舌を巻いた。 聖書の時代背景とかイスラエルの地理関係とか。 そこまで調べて一体何の得があるんだろう? そんな感想を持った。

スケジュールの限られた時間にそいつと話すにつれて信仰について真剣に考える様になった。

それ即ち自分を変える必要があるんじゃないかということに今更気が付き始めた。 言葉にするとすれば「罪を知った。」 今考えればそれこそが信仰の始まりだった。

そんなこんなで、kgkの合宿は終わった。 kgkあるあるだが、基本的に都市部以外に居住している学生は往来の道で一日の大半を費やす。

そんな長い帰り道、信仰について考えていた。 今までは、ただ洗礼を受ければいいのかと思っていたので適当に受けて適当に過ごせばいいかな、そんな風に思っていた。 しかし、もうそんな風に考えることは出来なくなっていた。

それ程に彼と過ごした短い時間は、私に大きな影響を与えていた。

信仰を持つ

そうして、一つの結論に達した。 「洗礼はまだせずに教会と過ごそう。」 洗礼に基準がある教会ではなかったが、自分で決めた。 理由は簡単。 過去記事にも書いたが、クリスチャンの集まりにやすらぎを感じて教誨を彷徨うキッカケになったのは友人の死だった。

あまりにも当初の目的からズレていた。 kgkでの学びの一つでもある「罪とは的外れ」 当時の私にとって非常にタイムリーな学びだった。

今の私は自分の目的にとっても神様の思いにとっても、かけ離れた存在だった。

きっと、もっと前に気がついていた事だ。 だが、あまりにも弱い私はそこから逃げていた。 見ず知らずの他人に示されなかったら一生逃げていたかもしれない。

ようやく自分が罪人である事を知れた。

しばらくして、新しく通い始めていた無教会で頼み込んで洗礼式を上げた。 それがどれほど愚かで恥知らずなことかも知らない私は、呑気に感謝を周りに伝えながら美味しいご飯を食べていた。 「この場所に死んだ友人がいたらどれほど楽しいんだろう」 そんなことを考えながら、目的に立ち返り、信仰を持つ生活が始まった。

終わり。