クリスチャンのブログー草もちー

クリスチャンが見て「下には下が要る」と安心するブログ

信仰に至ってから2  評価されて自己嫌悪。そして新たな戦いへ。

こんにちわ。

のんのです。

先日書いた「キリスト教図式化計画」

多くの方に見てもらえて大変嬉しいです。

 

 

実は労力の割に、書いた後の手応えはあまり感じていなかったので「大して見られないだろうな」と勝手に思ってました!!反省。

 

キリスト教図式化計画は仕事が休みの日限定にしないと、体が壊れそう。。

なので、スローペースでやっていこうと思います。

 

さて、今日は「信仰に至ってから2 評価されて自己嫌悪。そして新たな戦いへ」です。不穏なタイトルですが、さっそく書いていこうと思います!

 

 

 

あらすじ

信仰に至ってからクリスチャンの陰口合戦に巻き込まれる。

話を聞く事しかできない私はただ耐えて話を聞いていた。

そしてついに周りから評価される!!けど、、

 

nonnod.hatenablog.com

 

 

 

 

有頂天に喜ぶけど、疑問もある。


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どんなに苦しくても耐えていた。

理由はそれ以外の対応を知らないからだ。

 

正直な気持ちを話すと、評価されて直ぐに有頂天になった訳じゃない。

というのも、疑問が残ったからだ。

「果たして私のした事が、後に続く世代になにか残せたのだろうか?」

 

これは自己卑下ではなく、本気でそう思った。

話を聞くことは出来たが、結局何も解決していなかった。

 

相変わらず、陰口は続いていたし状況は何も変わっていなかった。

きっと、第三者の目にもそう写ったと思う。

しかし、自分の評判はそんな思いとは裏腹に日に日に良くなっていった。

 

これは、どうしたものか。。

日に日に良くなっていく自分の評判と比例して、その頃の私はどうしょうもない程の恥辱感と戦っていた。

 

私が感じていた恥辱感の正体を言葉にするとすれば

「陰口という然るべき対処すべき事態に何もできない自分を見せている。」と言うことだ。

 

只それだけであれば「私が無能である」という公然の秘密が露呈しただけであるからなんの問題もない。

 

問題は、そうした事態を称賛されたことだ。

ただのリップサービスかも知れないが、私を追い詰めるには充分だった。

 

後輩に対して有効な手段を示すわけでもなく、愛想笑いと作り笑顔でその場を凌ぐ自分に嫌気が差していた。

 

その日も教会に行って、打ちのめされている中なぜ評判が良くなったのかを先輩信徒に解説された。

 

「のんのは自分のこと無能って言うけど、私の目からは有能だと思う。下手に有効手段を示して『それが万能だ!』って言う方が駄目でしょ。それよりも、下手に出て話を聞くほうが御心にかなってると私は思うよ!」

 

その先輩信徒の言葉で一気に元気になった。

単純だなぁと我ながら思うが、その言葉で目指すべき方針が見つかった。

 

今までは話を聞くのみだったが、話を聞く中で少しずつ改善へと向かっていく。

そんな方針だ。幸いインプットは出来ていた。

あとは、改善に向けてのアウトプットの作業だ。

 

結果的に言えば少なくとも表面上、陰口合戦は徐々に収まっていた。

今まで話を聞くだけのやつが「どうなりたいの」としきりに聞いてきたら話すのも嫌になるだろう。

 

神様からの報酬なのか、その後も私の評判はよかった。

「今どき珍しい傾聴の姿勢と指導力がある」

なんて的はずれな評判が立っていた。

それでも嬉しかった。

ただ結果だけを見られた評判の良さじゃなく、出来不出来を認めた上での評判の良さだった。

 

愛想もよくない。常識がない。おまけに頭が悪い。そんなマイナスだらけの私でも評価されることを知って完全に有頂天になった。

 

 

ついに評価され有頂天。しかし。


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評価されて、しばらくはいい気分でした。

それは目に見えてわかるほどでした。

 

笑顔が増えて、挨拶も元気。日々のラインも絵文字が増えていく。

何より、会話が楽しい!

 

それはまさに人生の春でした。

自分が評価される事だけであれば、ここまで元気にはならなかったと思います。

あくまで、自分の中だけですがようやく「クリスチャンらしさ」みたいなものが掴みかけられていると思いこんでいたのです。

 

自分の感情よりも人の感情を優先する人って、素敵じゃないですか。

そんな素敵な人に向けての道を歩み始めたと思うと心が踊りました。

 

今までの自分がダメダメだった分その喜びはひとしおでした。

例えが合っているか不安ですが、ようやく自分は人前に出ても恥ずかしくない大人になったと思えました。

 

おそらく過去の自分は人目を気にして言葉を選ばないと、自分を表現できない人生を歩んでいました。

現に匿名でブログを書いているのがその証拠です。

 

それが、ようやく自分に自信を持てるようになったのが嬉しかった。

ただそれだけでした。

 

 

「今までは、不遇の時だったけどこれからは人生を楽しむ!!」

  みたいなポジティブ野郎に変身しかけていた時期だったと思います。

掛ける言葉が変わり、共感的というよりはポジティブを強要するようになっていました。

 

そして、教会以外の同世代のクリスチャンコミュニティに違和感を感じだしたのもこの頃です。

 

不穏な空気が流れ始め、戦いが始まる。


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そしてある日。

同世代が集まるクリスチャンコミュニティでその違和感が決定的になりました。

 

その時はまだ、自分の評判が教会内で良くなっていたことを発表していなかったので、その日ついに発表することにしました。

ただ、自慢したかったわけではなく「変身したのんの」を認めてほしかったと言うのが正直な気持ちです。

 

そのコミュニティでは、まだ「暗黒の道を行くのんの」が定着していたので、それを払拭しようと思っていました。

 

そしてついに、教会での陰口合戦を下火にさせた話をしました。

自分にしては珍しくしどろもどろになることなく喋れていたと思います。

話している最中も退屈にならないようたとえ話を織り交ぜてながら話しました。

 

そしてついに話し終わり、同世代の友人が口々に感想を伝えてくれました。

「変わったな」「昔のほうが尖ってたけど今は違うね」等など。

 

一部賞賛というよりは寂しさみたいたことを訴えてくる人もいましたが、概ね好評でした。

しかしある一言がキッカケで空気が一変しました。

 

「でもさ、やっぱり神様が一番凄いよ!!わたしが信じただけのことはある笑」

 

そしてついに、同世代同士の信仰マウント合戦へ、、

 

続く